2024.2.25
湯本温泉を出発
いわき1泊でどこを回ろうかは悩んでいたが、東日本大震災の影響を大きく受けた福島第一原発付近をやはり一度は訪ねておくべきだろうとも思っていた。また、広いいわき市は昨日訪問した小名浜港付近も有名であるが、化石の採掘地としても有名で、市営のアンモナイトセンターなるものがあるようだ。
ということで、宿を9時過ぎに出発して、常磐道のいわき湯本ICより北上。いわき四倉ICで下りてナビに従って進むが、ナビと道路標識が違う方向を指している箇所もあり、道路標識に従ってなお進む。


いわき市アンモナイトセンター
いわき市アンモナイトセンターはアンモナイトが発掘された地層に屋根をかけて保存している施設。建物横の露頭では化石の発掘体験もできる。
到着すると化石の発掘体験の集合時間を少し過ぎたくらいだったので、多くの人が化石発掘のオリエンテーションを聞いていた。我々は見学のみ。この寒空で発掘するための装備は不足している。
入館料を券売機で支払って展示スペースへ。いきなりでっかいメソプゾシアが半分埋まった状態で出現。上のほうに行くとあちらこちらに化石が埋まっている状況が確認できる。各種アンモナイトやサメ、恐竜の化石など。


アンモナイトといってもいろいろな種類に分類ができるようで、それぞれの種類の化石標本がケース内に展示されていた。

化石発掘体験は露頭の一部が崩れてしまっており、そのための人数制限を入れているとのこと。化石発掘は首都圏から常連で通っている人もいるらしい。発掘体験にぜひ来てください、とのことであった。もう少し暖かくなったら・・・。

双葉町・浪江町方面へ
いわき市を後にして、広野ICから常磐道をさらに北上。広野ICから常磐富岡ICが地震後最後に開通した区間である。放射線量の表示板が登場して、福島第一原子力発電所が近いことをうかがわせる。

道路の上を高圧送電線が横切ったとおもえば、右手に福島第二原子力発電所や福島第一原子力発電所が望める。13年前は到底立ち入れなかった区間。

常磐双葉ICで常磐道を下りて、目的地の震災遺構 請戸小学校を目指す。ナビの指示と現地の案内板が不一致していたので、案内板に沿って向かう。
インターを出ると、集落がすぐに現れる。少し遠くから見ると普通の集落のように見えるが、近づくと庭には手入れが行き届いていない植物が茂っており、人が住んでいないことがわかる。よく見ると集落へ折れる道にはバリケードがあり、帰還困難区域の表示がある。突然そういう区域に入ったのだった。もちろん、ニュースやネットでそういう地域であるということはわかってはいたのだが、現実がまさに目の前にある状況。ある金曜日を境に突然ここに住めなくなったことを考えると心が重い。
メガソーラ発電施設が整備されている道ぞいを進み、国道6号を渡り、請戸地区を目指す。
請戸地区には新しい水産加工工場が荒野の中に立っているのが見えた。今日は休業している模様。
震災遺構 請戸小学校
請戸小学校の案内板の通りに車を走らせて行ったところ、北東側から回り込む道が工事中で通行止となっていた。ガードマンがいたので聞いたところ戻って左折とかなりざっくりとした案内をされた。途中の適当なところで左折したら、あぜ道的な道路に入ってしまったが、左前方に請戸小学校が見えていたのでそのまま進行。うまいこと回り込むことができて無事、震災遺構 浪江町立請戸小学校へ到着した。
到着時点から1階のサッシがすべて抜け落ちている校舎が望めかなり痛々しい。
受付で入館料を支払い、展示を見学。

請戸小学校は海岸から300mほどしか離れておらず、東日本大震災の発生後50分で津波が押し寄せた小学校である。津波に対する高い意識があり、当時校内にいた児童と先生たちはすみやかに全員避難して無事だったとのこと。その遺構を2021年10月から保存・展示している施設となっている。

各学年1クラスずつの小規模な学校だったようで、教室を出たところには多目的スペースがあったり、給食は全校児童が同じ部屋で食べることができるようになっていたとのこと。
避難の様子がかかれた絵本のパネルと合わせての展示となっており、広い世代に分かりやすく伝える工夫がされている。


いたるところに様々な形で津波の痕跡が残されており、それぞれを解釈することで東日本大震災の記憶を思い起こさせたり、津波への意識を改めさせてくれる。
校内の時計は津波到達の時間でとまっており、2011年3月11日のこの時間、自分は会社にいて、まさに津波が街を飲み込んでいるという様子をテレビの画像でみていたのだが、その現場に来たということになる。



1階の展示を見終わると、校舎の西側に回る順路となっているが、そこから児童たちが避難した大平山が遠望できる。あたりには高台が全くなく、その山が避難場所というのは全く異論はないのだが、距離は2kmほどあるということで、小学生が急いで移動することを考えるとかなり遠い場所である。


学校の裏手も辺りのがれきは片付けられているようだが、1階には車が流れ着いたという写真パネルもある。1階は全滅2階までは到達しなかったことがわかる。


体育館の窓にははっきりと津波の痕跡が残っていた。

昇降口から入って、体育館をのぞける窓から体育館を見る。地震の翌日が卒業式だったとのことで、ステージにはそのパネルがそのまま残っている。
津波は2階の床上10cmまで到達したとのこと。その2階は学校や地域に関する様々な展示コーナーとなっていた。

2階の窓からは、校庭跡地のはるか先に福島第一原発を望める。


一通りの見学を終え、退館。震災関連施設としては近所に東日本大震災・原子力災害伝承館もあるのだが、じっくり時間を取ったほうがいいだろうと思ったのと、請戸小学校から立て続けに見ても消化しきれない気がしたので今回は見送り。
道の駅なみえ
昼食の時間も過ぎているので、混んでいるかもしれないなーと思いながら、道の駅なみえへと向かう。
請戸小学校からは少し車を走らせる距離にある。通過した集落はおそらく居住できるような状況にはなっているとおもうが、やはり空き家が目立つ。
道の駅はかなりの賑わいで、多くの車が止まっていて空きマスを探すのに苦労するような状況だった。

そんな状況ではあったが、フードコードのレストランでは運よくすぐに席を確保することができ、券売機の列に並んでなみえ焼きそばを購入。むかーし、世田谷区の多摩川花火の出店で食べたことがあるような気がするが、本場で食べるのはもちろん初めて。やきそばならではの濃い目の味付けでとてもうまかった。

Youtuberおのださんの動画でもこの辺り何度か見たことがあり、酒蔵も併設していることももちろん知っている。試飲マシーンがあったがもちろん車で来ているので楽しめない。案内を見ると、おちょこ5杯分で500円、おつまみ付きだと700円という、非常に魅力的な設定。
でも飲めないドライバーのためにノンアルの甘酒も売っている。


ふるさと創生ポケモンとしてラッキーが抜擢されており、ラッキーの公園やポケモンマンホールなどもある。このあたりはさほど興味はない。


国道6号を南下
道の駅で昼食をとり、買い物をした後は、高速に乗らず国道6号を南下してみることにした。
すぐに双葉町にはいる。国道だからもちろん交差点はあるのだが、曲がった先にはガードマンがいて検問していたりとか、そもそもゲートが閉じられていたりとか、厳格に帰還困難区域としての管理がされているようであった。
3連休最終日ということもあってか、工事の車両はあまり多くは見かけなかった。

福島第一原発の交差点を過ぎたところにあったモニタリングポストの線量が今回の旅行のなかで一番高い数値を示していた。1.190μSv/h。


道の駅ならはでトイレ休憩。ここにもポケモンマンホールあり。


道の駅ならはの近くには、一時期原発の対応拠点としてよく聞いたJ-ヴィレッジと広野火力発電所がある。そのわきを通っていく。

そのうち、いわき市内へとはいり、道の駅よつくら港で海産物を確認。ポケモンマンホールを撮影。道の駅よつくら港付近も津波が押し寄せたという写真パネルの展示があった。国道からの入り方はちょっとわかりにくい。



その後、地元では有名と思われる大川魚店の本店へお邪魔し、実家への土産を送ったり、自宅の食材を購入したりする。お惣菜もいろいろあり、目光の唐揚げを明日の朝食おかず用に購入。ちなみにお刺身も激安で売られていた。慣れているおじさんは、さしみパックを数個購入して、レジで箸とお醤油をもらっていた。

タイヘイ酒店経由常磐道で帰宅
その後、今朝泊まった湯本温泉の近くの清酒太平櫻の蔵元の酒屋タイヘイ酒店へ立ち寄り。朝は早すぎて開店していなかったのだ。こちらで太平櫻を数本と飲んでみたかった粕取り焼酎を購入。


大量の日本酒を購入し、いわき湯本ICから常磐道に乗る。途中から雨が降り出す。天気予報通り。

途中、友部SAで夕食をとる。珠玉の蔵という高級フードコードで常陸牛の焼肉丼などを頂く。焼肉丼はかなり美味。サラダのドレッシングもおいしかったので、売店にあったのを発見して買ってしまった。


その後、守屋SAでトイレ休憩を行い、C2経由で帰宅。

C2から見える東京の夜景もよろしい感じでした。