NY・チリ・ボリビア7日目~イースター島(2005.3.7-25)

2005.03.13

朝はゆっくり目に

おばちゃんに朝食は9時よ。といわれていたので、0845くらいに食堂へ。すると、食べ終わっている人達も結構いた。20%くらいの砂糖甘いマンゴジュースとハム、パンとか。こっちのコーヒーはネスカフェの粉末がデフォルトみたいなので、リプトンの紅茶を飲んでみる。ポーランド人とまったり朝食。

ツアーの迎えは10時だというので、部屋でまったりと過ごす。年季の入ったワーゲンのワゴンで10時少し前にツアーのおじちゃん到着。とりあえず、スペイン語か英語どっちが良いのかを聞かれる。もちろん英語だ。僕が助手席にのり、carisは後ろに乗る。途中の宿でもう2人乗せてトータルで4人のツアーらしい。途中から乗ったのはイギリスからの夫妻だった。とても仲が良さそうだ。こぢんまりしたツアーなのでなにかと安心できる。途中のsupermercadoで食料を仕入れる。エンパナーダスというイースター島のファーストフードみたいなのと、1リットルの水を買っていざ出発。空港脇の道から島の東へと向かう。

アフ・ヴィナプ

空港脇の道を下って、オイルタンクの脇をかすめて到着したのは、「アフ・ヴィナプ」。ひろーい駐車場があって、そこに、ぴったりとした石組みのモアイを乗せる台(=アフ)がある。このアフはインカ帝国でも見られるような石組み技法が使われているとのこと。ここには女性のモアイもある。このアフは、石組みを見るべきものなのに、モアイがゴロゴロしていたためにテンション上がりまくっていて、アフの写真が一枚も無い。風化の激しいモアイの顔がなにか淋しい感じがする。でもモアイ見られて非常に満足。

島で最も古いモアイ
He has seen far sea for a long time.
倒されたモアイ
Knocked down Moais.

アフ・アカハンガ

エンパナーダスを食べつつ、次は、アフ・アカハンガへ。駐車場の脇には、お土産の出店が出ている。ただ、あまり売る気がないらしい。早速アフの近くへ。ここのモアイはうつぶせに綺麗に倒されている。ここには他のツアー客もいて、日本人も5人くらいいた。昨日の飛行機にのっていた人達だ。彼らはマイクロバスで回っているみたいで、その中にガイドが一人だったから、あまりまとまりの無いツアーになっているっぽかった。こっちは5人でガイド一人だ。

海は凄く綺麗で、泳いでいる魚もよく見える。ここには家の形がボートに似ているかつての住居、ボートハウスの跡が残っている。屋根はさすがに無いが、家の形が玄関跡も含めて良く残っていた。もう一つここには洞窟がある。現地語で洞窟の事を「アナ」と言うが、これは日本語の「穴」と発音が同じ。ガイドはこのことをイギリス人夫妻に説明していた。ガイドは、全くの偶然だろうと言っていた。まさしくその通りだと思うが、日本語のルーツとラパヌイ語のルーツが同じだったら、凄く面白い事だなと思う。このアナは入り口のスロープがきれいに残っているが、常には人が住んでいなかったという。

海の近くで倒されたモアイ
Near Ahu Akahanga.

プランテーション跡

次は、ラノ・ララクに向かってクルマを走らせるが、その途中で車が止まり、プランテーション跡とチキンハウス跡を見る。ガイドがいなかったら絶対に通り過ぎてしまうようなところである。あまりにも風が強いことと、火山島なので保水力が弱く、植物の苗を植えてもすぐにダメになってしまう。そのため、少し穴を掘ってそのなかで植物を育てたという。確かに、現在でも穴からは大きな植物が生えていた。

その脇にあったのはチキンハウス。まぁ鶏小屋である。これも驚くほど完全な形で残っている。

ツアーのフォルクスワーゲンのバン
Our Volkswargen van.

ラノ・ララク

そして、大きく見える岩山へクルマは近づいていく。モアイ製造工場 ラノ・ララク。駐車場にクルマがとまり、ここで昼食タイムとなる。我々は既に買ってきたエンパナーダスを食べ終わってしまっていたため、carisと2人でさきにラノ・ララクを散歩することにする。40分くらい時間があるのでじっくり見られるだろう。歩いていくと運ぶ途中で動きを止めてしまったモアイがたくさんいる。そこらじゅうにモアイモアイモアイ。全く感激そのものである。このあたりで昨日空港で会った、ミズーリ州のアメリカ人2人連れにあう。

モアイは全長10メートルを超えるモノから、傾いているモノ、顔だけかろうじて地上に出ているものがあった。

そのうち、時間になったので駐車場に戻って、夫妻とガイドとともに再び向かう。地面が乾燥していてもろいので道以外を歩くのには細心の注意が必要である。ここには、ひげを生やして正座をしているモアイがあったり、アフ・アカハンガを遠くに望むことができたり、まだ岩で切り出し途中のモアイがあったり、もう少しで岩から離れるところで作業が中断しているモアイもあった。「ここで昔のかつての様子、のみや槌の音、作業者が話しているところを想像するのがいいんだ」とガイドのおじさんは話していた。そういう感覚が遺跡を見ることを面白くする。切り出す途中に失敗して2つに割れてしまったモアイもあるし、何人もの奴隷や作業者が事故で亡くなったはずだとのこと。岩は柔らかいため、モアイの切り出しは2,3ヶ月程度だったと言われているらしい。運ぶのに相当な時間がかかったとのこと。

作りかけ、運びかけのモアイ
Many Moais are standing.
作りかけの巨大なモアイ
It is the biggest Moai but incompleted

上には大きなクレーターが池になっている。トライアスロン大会が開かれたりするとのこと。そのあと一行は、ランチリが遅れすぎることへの不満をぶちまけつつ、駐車場に戻る。

アフ・トンガリキ

有名なアフ・トンガリキ。15体のモアイが建て直されてアフの上に立っている。モアイ倒し戦争で倒され、チリ地震津波で悲惨な状況になっていたモアイたちを、アフの上に戻す作業が行われたのだ。このプロジェクトは、日本のタダノが協力したというのは有名な話しである。ガイドは「タダノはものすごく良い宣伝になった」と言っていた。ちなみに、このアフ・アカハンガの入り口には大阪万博で日本に行ったことのあるモアイが立っている。モアイは通常、海に背を向けて立っていなければならないのに、これは戻されたときに間違った方向に置かれてしまったと言うことである。carisが「sorry」と謝ったら、ガイドが「it’s OK」と返していたのが可笑しかった。

ここの15体のモアイはそれなりに巨大で迫力がある。絵になる光景。 アフの上は非常に神聖な場所であるため、立ち入りは禁止されている。我々もガイドから注意を受けていたのだが、どこからかやってきたカメラ片手の日本人1人がアフの上にのって写真を撮ったりしていたのだ。日本人の恥である。先日もモアイに名前を刻んだ日本人が逮捕されたばかりだというのに。

アフトンガリキ遠望
The 15 Moais are standing at Ahu
アフトンガリキ正面より
They were restored by support of Japanese crane manufacturer Tadano.

また、ここには岩絵もあり、魚とか亀とかはっきりと残っていた。ただ、やはり野ざらしになっているだけの事もあり、いずれ消えていってしまうのかと思うと悲しい。でも、最終的に自然に還るという点ではそれが正しいのかもしれないが。

テ・ピト・クラ

アフ・トンガリキを出発した一行は、次なる目的地、テ・ピト・クラへと向かう。このあたりはひたすら道がダートである。おじさんのワーゲンはなかなかの年季モノなため、他のクルマにどんどん追い越されて行くが、それはまた仕方の無いこと。

テ・ピト・クラには磁性体を含んだツルツルの石が置いてある。歩き方には、石に不思議なパワーがあるとかいてあったが、この石が重さ82トンとかいてあるのは明らかな間違いだろう。ガイドの方位磁針を近づけると、針はぐるぐると回った。モアイほどのインパクトは無いこの石。

アナケナビーチ

次は最終目的地、アナケナビーチである。今日は日曜日。多くの人が泳ぎに来ていた。波打ち際でどちらがうち寄せる波に対して長くたっていられるかというチキンレースをやって、お約束通り、carisの靴が波を浴びて笑わせてくれた。それにしてもここは結構良いビーチだった。

ついでにここにはアフ・ナウナウがあり、4体のプカオを乗せたモアイがいる。倒されていた時に砂の中に埋もれていたので、何体かのモアイは状態がいい。ここにも日本人結構いた。ヤシの林の中に出店みたいなのがあって、肉の串焼きを売っていた。うまそうだったが抑えておく。ここはいいところだった。

プカオを被ったモアイ
Four Moais are wearing Pukao.

今日は終わり

そのあとは再びハンガロア村へ戻る。途中にはバナナやオレンジのプランテーションがあった。途中から道も舗装となり、村が近づく。この村には、病院、教会、学校が一つずつあることや、昔は医者が1人しかいなくて大変だったみたいな話しをしてくれる。携帯電話も村の近辺では使えるようになっているとのことだった。ガイドをしていると、滅多に家にいないから携帯は便利だと言っていた。

そんなこんなで夫妻を宿で下ろし、我々も宿まで送っていってもらう。降りたところでガイド料を支払って、別れを告げる。とはいえ、翌日にまた見かけることになるのだが。

carisはシャワーを浴びたりして、再び村へ向かう。夕飯だ。今日は、マグロの刺身を食べると半分くらい決めていた。…と、そのまえにインターネットをしたい。孤島であるイースター島では事前情報からネットは高いという話しだったが、ネットカフェはちょこちょこ見かけるし、メールも読みたいこともあって、とりあえず立ち寄ってみた。1軒目は日本語が読めなくてだめ、2軒目は休み、結局、宿に一番近い3軒目でネットが出来ることになった。値段も特段高いとは感じなかった。一応、DSLと店先には書いてあったが、バックボーンが細いのだろう。快適という訳ではなかった。まぁ使えるだけでもスゴイと思うべきなのだろうが。

そのあと、土産もの屋で絵はがきを購入。で、ガイドがオススメといっていたトコロへ夕飯を食べに行く。carisはマグロのカルパッチョみたいなヤツ、オレは肉、で、シェアで「SASHIMI」を注文。飲み物はピスコサワーにしてみた。ピスコサワー適度に強いのだが、サッパリと冷えていてうまかった。肝心の刺身も、キッコーマンの醤油と韓国製練りわさびで食べるようになっていた。これが激ウマ。肉も激ウマ。というか、肉はイースター島内でかなりコストパフォーマンスがいいように感じた。イモもこれでもかっていうくらい付いてきたし。

イースター島のおいしいお刺身
It was very good Sashimi.

だいぶ満足して宿に戻る。途中で水を購入。

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